教会最大のイベントと言えば、やはりクリスマスでしょう。クリスマスって本当に不思議です。どうしてあんなに厳かで温かみがあるのでしょうか。この作品からもクリスマスの厳粛さが伝わってまいります。 |
題「道」 「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」 ヨハネによる福音書第14章6節より 私たち人間には、真の命に至る道は分かりません。キリストを通ることによってはじめてその道が示されるのです。 この作品は、北海道の摩周湖(阿寒摩周国立公園)にほど近いアトサヌプリで1988年に撮影したものです。 |
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題「世の光」 「あなたがたは、世の光である。」 マタイによる福音書第5章14節より この世の中は、人の罪によって暗闇になってしまっています。キリストは、私たちがそんな暗闇の中で神の真理を灯すことを望んでおられます。 この作品は、1989年のクリスマスに北海道で撮影したものです。これは、マイナス20度もの寒さの中、バケツに水をはり、一晩凍らせた氷の器にロウソクを入れたランプです。通称アイスキャンドルと呼ばれいます。北海道ならではの風物です。 |
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題「出会い」 「わたしは、わたしを愛する者を愛する、わたしをせつに求める者は、わたしに出会う。」 箴言8章17節より 人生にはいろいろな出会いがあります。神との出会いをしきりに願う者に、神は答えて下さいます。しかし、せっかく神と出会っていても感性の鈍い私たちには、その事実が分からず、見過ごしてしまうことが多いのです。神を愛するという感性を、いつも研ぎ澄ましていなくては。 この作品は、1988年の初夏に阿寒湖畔で撮影したものです。尾の先が白いのは、キタキツネの印です。 |
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題「平和」 「主が彼に平安を賜ったので、この年ごろ戦争がなかった。」 歴代志下13章6節より 穏やかに一生を過ごすことができるということ以上に求めるべきものはありません。しかし、そのような恵みを得る人は、そう多くはありません。せめて、人為的な災いの極みである戦争を止めなければなりません。 この作品は、1992年の初夏に諫早ナザレン教会の庭で撮影したものです。仲良く宙を舞っているのは、アオスジアゲハです。 |
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題「天国」 「栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。」 マタイ6章29節より 人間がどんなにあがいても、神様の前には無力です。むしろ、神様のみ手の業のすばらしさに感銘しつつ過ごした方が、毎日が幸せです。 この作品は1985年夏、京都のとあるお寺の池に咲いていた蓮の花を撮したものです。あまりの美しさにうっとりしました。 |
題「聖霊が降り」 「すると、見よ、天が開け、神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを、ごらんになった。」 マタイ4章16節より イエス・キリストがバプテスマのヨハネから洗礼をお受けになり、水から上がられると、神の御霊が下りました。そして、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。」との声が天からありました。 この作品は2003年6月、教会の真上の空をを撮したものです。筆で描いたような変わった雲なので思わず撮影しました。 |
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題「誓約」 「子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。」 ヨハネの手紙一3章18節より これは、諫早ナザレン教会での結婚式の一場面です。結婚の誓約の後、花嫁が結婚証書にサインをしているところです。人は一生の間に幾度となく自分の名前を書くことでしょうが、このときの署名は特別です。この誓約が、誠実に、そして永遠であるという思いを込めた厳粛な署名だからです。 |
シリーズ大自然紀行第一段「海洋写真家瀬頭新治の世界」へ |
シリーズ大自然紀行第二段「諫早ナザレン教会に咲く花」へ |
ウエディング・ギャラリー 「結婚式の様子」 諫早ナザレン教会での結婚式の様子を画廊風に紹介しています。 |